近江の話を少し。
南は六角氏。北は浅井氏が治めていました。
両者は長年争っていましたが、凡庸な浅井久政の代になると六角氏が優勢になります。
久政は息子の長政と六角氏の重臣の娘とを結婚させ、浅井氏は実質的に六角氏に臣従しました。
これを不満に思った浅井の重臣たち(と長政)はクーデターを起こし、久政を無理矢理隠居させました。
15才の若き当主となった長政は妻を離縁し、六角氏を野良田の戦いで破ります。
市の輿入れから話は遡ること(笑)、7年前の出来事です。
その後、六角氏は美濃の斎藤氏と結んで浅井を攻めます。
しかし、六角氏は観音寺騒動(これも重臣たちによるクーデター劇)により当主義治の求心力が弱体化。美濃も重臣日根野弘就などが密かに赤尾清綱を通じて浅井と内通していました(日根野は斎藤家滅亡後、浅井家に身を寄せます)。
斎藤家が滅亡した年、浅井長政は「朝倉攻めはしない」という信長の言質を得て、織田との同盟を結ぶのですが……。
南は六角氏。北は浅井氏が治めていました。
両者は長年争っていましたが、凡庸な浅井久政の代になると六角氏が優勢になります。
久政は息子の長政と六角氏の重臣の娘とを結婚させ、浅井氏は実質的に六角氏に臣従しました。
これを不満に思った浅井の重臣たち(と長政)はクーデターを起こし、久政を無理矢理隠居させました。
15才の若き当主となった長政は妻を離縁し、六角氏を野良田の戦いで破ります。
市の輿入れから話は遡ること(笑)、7年前の出来事です。
その後、六角氏は美濃の斎藤氏と結んで浅井を攻めます。
しかし、六角氏は観音寺騒動(これも重臣たちによるクーデター劇)により当主義治の求心力が弱体化。美濃も重臣日根野弘就などが密かに赤尾清綱を通じて浅井と内通していました(日根野は斎藤家滅亡後、浅井家に身を寄せます)。
斎藤家が滅亡した年、浅井長政は「朝倉攻めはしない」という信長の言質を得て、織田との同盟を結ぶのですが……。
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