源氏の嫡流

2005年3月19日 歴史
 大河の頼朝ママは幼い頼朝に「あなたは嫡流よ!」って吹き込んだらしいのですが、頼朝の先祖にあたる源氏の棟梁八幡太郎義家は前九年、後三年の役で大活躍した東国武士のカリスマ。後三年の役で義家と一緒に戦ったのが藤原清衡。義経を助けた奥州の藤原秀衡の祖父です。
 しかし、義家以降の源氏の嫡流は悲惨な運命を辿ります。

義家
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義親(西国で乱を起こし敗死)
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為義(保元の乱で敗死)
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義朝(平治の乱で敗死・頼朝、義経らのパパ)
 
 義朝の長子悪源太義平まで合わせると4代続けて逆賊の汚名を着せられ殺された源氏。
 それでもやがて覇者を生み出すのですから、その生命力は雑草のように強い。

 大河の中で義経は父義朝が死んだ尾張国で元服したことになっていました。
 実は頼朝の母は熱田神宮宮司の娘。「義経記」ではその縁を頼り尾張の熱田神宮で元服したことになっています。
 「義経記」より早い時代に成立した「平治物語」では義経元服の地は近江の鏡里となっており、こちらの説の方が有力のようです。

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